ブラームス 小話 その2
- T.S(Ensemble”Eroica”)
- 2019年6月11日
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ブラームス交響曲第一番の初演は、1876年11月4日、フェリックス・オットー・デッソフ指揮、カールスルーエ宮廷劇場管弦楽団にて行われています。
地域やオーケストラによって、編成規模が異なるこの時期。ブラームス は特に木管楽器の動きが埋もれてしまう事を嫌い、小編成での演奏を希望したのか、この初演は49名の奏者によって行われました。(弦楽器は9•9•4•4•4) 我々エロイカでの演奏は正しく、当時のブラームスが目指した響きへの挑戦となります。
ここで、またクララ・シューマンが影響を与える事になります。
完成に14年遡ること1862年6月、ブラームスはクララに対して、第一交響曲の初期稿の第一楽章をピアノで弾いて聴かせています。クララはそれを絶賛し、その事をブラームスの盟友でヴァイオリニスト、指揮者、作曲家であるヨーゼフ・ヨアヒムに書き残しています。
一方で、14年後の全曲初演を聴いた後のクララの感想は辛辣なものでした。「私は悲しみ、打ちのめされたことを隠すことができません。…旋律の活気が欠けているように思われ…」と書いています。
音楽面でも絶大な信頼を置いていた彼女からのこの様な感想に、ブラームスは打ち拉がれたに違い有りません。初演後、ブラームスは直ぐに改訂作業に取り掛かっています。そして、決定稿は翌年1877年に出版されています。
ブラームスは二楽章にかなりの修正を加えています。
現在の二楽章て同じ主題を用いながら、初版ではABABAのロンド形式をとっています。現在の最終版と比べると、明らかに完成度が低くブラームスが改訂した意図が良く分かります。破棄されたであろう初版ですが、その後の研究によりVn, Vaの楽譜が見つかり、それを基にブラームスが最初にクララに聴かせたであろう初版が再現され、現代では演奏される機会も有ります。これはこれで奥深いものですが、やはり我々にとってみると、物足りないものが多く残ります。
現代に残る最高傑作は、この様にクララの助言によって生み出されたのでした。

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